2018/04/18

宗教な話

最近なんとなく「あっブログでも書こうかな」って気分になることが多い。
割と気持ちに波があるので、結構書いて消したものも多い。笑
そういう時は攻撃的なことを書いていることが多い。
必ず投稿する前に読み返すのだけど、その時に「こりゃあえて言う必要ないな」って思って実は半分くらいは消している。笑
ということは本来はもうちょっと投稿できているんだろうねぇ。笑

いつからか忘れたけど、自分の主義を主張するようなブログだったり記事は書かなくなったように思う。
もちろん自分なりに思うことだったりはあるのでそういうのは言っているけど、こうあるべきだ。とか10年ほど前だったら声に出して叫んでたであろうことを言わなくなった。
それと同じくらいの時期に歌詞が書けなくなった。というか書かなくなった。
文章で思いや気持ちを綴るというのは本当に難しい。

言いたいことがなくなったっていうのもあるんだけど、主張する気持ちが無くなったっていうのが大きい気がする。

昔書いていた歌詞は何となく世の中のことで思ったことだったりを比喩的な感じで何かに置き換えて書いてた。

もちろん世の中に対して思うことなんて沢山あるんだけど、自ら主張する気は無くなった。

なぜかといえば、例え話で言うと宗教とか。
世界には沢山の人がいて、沢山の人が様々な宗教を信仰している。ちなみに僕は無宗教だけど。
信仰は自由というのを勿論前提に置いて書いてみる。

難しい話だけど、この神様を信じていれば天国にいける。
この神様を信じていればいいことがある。恵みがある。

というのをその信者の人たちにしてみればいいことなんだけど、自分が違う宗教だったらどう感じるだろうか?

その神様を信じていなければ天国へはいけない。
その神様を信じていなければいいことはない。

僕が異教徒だった場合このように聞こえる。
仮に僕が違う神様を信じていたなら、自分が信じているものを否定されてるように感じてしまうかもしれない。
勿論否定しているつもりでこう言うことを言ってるわけではないんだろうけど、結果論として否定されているように感じる人も出てしまうこともあるかもしれない。
個人的な考えだけど、
こういうのは思ってても口に出したりしないほうがいいんじゃないかなって。
悪気はないのはわかるのだけど、他人に勧めたり、勧誘した瞬間に意味合いが変わってくると思う。
僕の考えでは信仰などは共有しあうものではなく、個人個人の心の中に信仰があればそれでいいのではないかと思う。
使ってみてよかった商品をすすめるのとはちょっとわけが違う。

僕は父は仏教系、母はクリスチャン系の家で育った。
2人ともケンカは良くするが息子の僕から見ても仲が悪いとは思わない。

ただやっぱりお墓まいりだったり、お葬式の時だったりはよく揉めてた。
勿論言い合いだったりその程度だけど、僕はその時世の中の縮図を見たような感じがしていた。
わりと仲がいいうちの親ですらそれなのだから、仲が良くない人たちであれば戦争になるのは当たり前だと思う。

きっとほんの少し、自分が大切に思ってるものを他の人も持っているということを思うだけで随分良くなるんじゃないかなぁと思うけど、そんな簡単にはいかないか。。。

ちょっと何が言いたいのかわからなくなってしまったけど、この話をまとめるのは今の僕にはできそうもない。

長く読んでいただいてありがとうございます。
決して何らかの宗教を持っている人を否定したわけではないです。
思うことをつらつら書いてみたので気を悪くされる方がいたならごめんなさい。

いろんな方のfacebookの記事だったり、アニメを観たり、最近触れるものの中で宗教についての話題が多いような気がしたので書いてみました。

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